撮らされてしまった!
曇天の空、小雨の午後十三時。
西の空が段々と明るくなってきたのでカメラと数本のレンズ、フィルム。
それからコーヒーを入れた水筒をバッグに詰めて歩きはじめる。
行きかう人々。街の往来。少し歩いた頃、コンビニの前で一服することにする。
西へ向かう傘をさす人、西から来る人は傘を畳んでいるようだ。
真っ直ぐな道を歩く。子供が自転車で走り去っていき若者が楽しそうに歩いてくる。
雨が上がる匂いは経験よりもそれを早く捉えるのに若さが必要なんだろう。
また少し歩く、午後十四時。
雨はもう降っていないけれどチャコールグレーの空はまだもうもうとした雲に覆われていた。
またベンチに座る。一服の為だ。
そこいらで煙草が吸えなくなって久しいが、そのおかげで喫煙可能な場所を察することに長けてきた気がする。これは経験であって年齢は関係がない。
初老の女性が孫らしき男の子と散歩をしている。
この場合どちらがどちらでもなくこれから雲が無くなることを勘付いて自然と家を出てきたのかもしれない。
そんな発想に至るなんて、天候は大切なことか?
そう思うとこだわっていた自分がだんだん可笑しくなってくる。そして雲の切れ間から光が指してきた。
でもどうだろう、あれほど期待していたのにその思いが高まれば高まるほどその瞬間は呆気なく感じた。なんだかつまらなくなってきた。
そんな時だ。
隣の車輌
僕の隣のあの車輌がほんの少しだけ未来を走っているとしたら、その車輌の先頭には僕がいて今シャッターから指を離したに違いない。
恐らく考え事をしている彼女は前の車輌でも考え事をしていて、次の車輌でもその次の車輌でも忙しそう頭を振っているんだろう。
それをなんとなく見ていた僕は、過去でも未来でもない今この車輌でフィルムを一枚巻きあげた。
車輌が揺れる音しかしない地下鉄。
アナウンスが鳴り、次第にスピードを緩めた車輌はスルスルとホームの傍を滑りはじめる。
車輌と一緒に彼女の頭も動かなくなったようだ。
停車した電車から降りる彼女に「考え事がまとまっていますように」と心の中で唱えみた。
僕の隣のあの車輌には今誰もいなくなった。
先頭に乗っている僕は少しだけ未来に何をしているだろう。
迷い道
汗を拭うハンカチを頻繁に出さなくて良くなると夜の帳が下がるスピードも一段と早く感じる。
三十六枚撮りのフィルムがちょうど無くなった時、カメラの代わりにグラスにするかそれともこの先のドラマを期待してまた歩きだすか。あまり気分が乗らない時や上手く行かなかった時は駅前の暖簾を潜るのが常だけれど、昼過ぎから歩き始めて二駅目を過ぎた辺りから今日はなんだか冴えているなと感じたから今日は徹底的に撮ろうと決めていた。
辺りは一段と暗くなってきた。
明るい茶褐色だった空は一瞬赤くなったかと思うと途端に夜の色に変わり、甘くとろんとした光がまあるい電燈から漏れ始める。次のフィルムをカメラにつめた僕はキョロキョロと辺りを見回した。
下校する小学生が足早に走り去る、中学生らしき制服の女子達は信号が青になったのにも気がつかずにまだおしゃべりをしている。遠くには車の音、まだ動いている工場の機会がシャーシャーと音を立てている。
見たものを一つずつカメラに収めて行くと手回し式のダイヤルが「35」の位置になっていた。
閉じかけた工場のシャッターの中に積んであった何かを撮って今日はこの辺にしておこうとカメラをしまいかけた時、自宅からはそう遠くないはずなのに見慣れない場所にいることに気がついた。
それだけ夢中になってたんだなと呆れながら鞄の中の地図を半分引っ張り出した所でそれを元に戻した。きっと迷い道でもそのうちに家に着く気がしたから、もう一度カメラを肩から下げた。
まわり道の理由
理由も無く出発したのだから撮るものにだって理由なんていらない。
電車から降りたら持ちだしたカメラを首からかける。撮りたいものをすぐに撮る為にカメラは肩から斜めがけにすることが多い。ガンマンがリボルバーを抜くように僕は被写体を打ち抜くんだ。
そんな気持ちで胸はいっぱいだけれど大抵すぐには何も撮らない。
自分の気持ちが高揚していくのに合わせてシャッターを切る指も滑らかになることを知っているからだ。
適当な場所に降り立つとそこには様々な風景が広がっている。
遠く山道が続く知らない土地でも、良く使う路線の馴染の駅だったとしても、僕にとってそこはこれから始まる何かのスタート地点であることには変わらない。
さて、何を目指そう?
何も目指さなくていいだろう。
理由のない散歩に理由をつける必要なんてないからだ。理由のない散歩に理由がついてしまった時に僕は自由を失う気がして怖くなる。
とりあえず北に行こう。方角位決めたって自由はなくならない。
あの広場はなんだろう、あの高い木は?
人が歩いている付いていこう、ネコさんこんにちは気分はどうですか?
あっと言う間に知らない場所に到着した。川がある、これに沿って歩けばいつか大きな川に着くかもしれない。大きな川に着いたら水が流れる方に向かえばきっと海に出られるはずだ。
太陽が木立の中から顔を出した。
川からは道が外れてしまうけれど、あっちの方に行ってみたい。
そこからは陽の光に向かって歩き出した。坂道だ。
坂道の始まりには小さなお地蔵様としおしおと枯れた紫陽花。
石壁の間からはちょろちょろと水が流れている、鳥居が見えてきた何があるんだろう?
坂道の勾配が急になってくる、遠くから子供の声が聞こえる。
何か騒いでる声、これは自転車に乗っている声。
スピードは?今の太陽は?さっきの鳥居、壁から流れる水、緩やかに動く雲、太陽が作る影!
陽の光が強くなってきた、子供の声も近付いてくる。少し絞ろう。シャッターの速度を上げよう。
こうすればきっと、僕のまわり道の理由がフィルムに焼きつくだろう。
特別な物、特別な時間
薄く雲がかかった午後。
隙間から段々と陽が差してきて池を覆った。ただなんとなく良いなと思った時にシャッターを切るようになってまだそんなに日が経ったわけじゃない。
まだそれほど暑苦しいという陽気でもなく、かといってフィルムを入れる手が悴むような寒さもないそんな時はアルコールというよりもお茶でも飲んで一息つきたくなるものだ。
辺りを見渡す。それほど特別な何かがあるわけではない。
しいて言えばさっき買ってきたクレープを嬉しそうに頬張る彼女が口についたクリームをぬぐう瞬間位が今のシャッターチャンスだろう。
「食べる前に手を洗ってくる。」そういってどこかへ駈けて行ったので、僕はまた辺りを見渡すことにした。さっきまでの薄暗さが嘘のように段々と明るみを増し、僕に絞りを2つ程閉じさせることになった。
特別に良いこともないけれど、特別に嫌なこともない。この瞬間を収めるにはあまり考えることなく目の前にあるものを撮るのが一番良い。誰かにわかってもらう為ではなく自分の為なのだから。
日傘のおばさん、まどろむおじさん。光が差しかかった池、記憶に無い樹。
どれもこれも僕にとっては特別な物ではなかったけれど、なんでもない特別な時間を僕に記憶させる一枚になった。
手を洗う時、クレープはどうしてたんだろう。
ニューバランス
新しい何かを得るということは、古い何かを無くすことなのかもしれない。
何かを撮ってやろう、自分の物にしてやろうといった欲望はその代償として自由な発想や、感性を犠牲にしてきたのではないだろうか。
感じた物を撮る。その為には脳と体を直結させなければならない。
どうやって撮ろうか?
そう感じた時にすでに完成された構図や意図、余計な欲望が渦巻いているのかもしれない。
人はどうして何かを何かにはめたがるのだろう。気持ちが良いからなのだろうか。
もしそれが気持ちが良いのならば、それは公式に当てはめた計算が解けたということとなんら変わりがないはずだ。欲望という穴に、願望と言うものをねじ込んでアドレナリンが出るならばそんな物質はいらない。
感じたら撮る。それではもうすでに遅いのだ。
目まぐるしく流れて行く日常、その中で何か感じた物を撮るには感じてからでは遅く撮る時に感じるしかないんだ。
新しく生まれたこのバランスが体の中で何かを燃焼させた。